八事窯 中村道年 愛知県陶磁器資料館


名古屋の楽焼

ー八事窯 中村道年へのあゆみー


平成22年4月3日(土)~6月27日(日) 愛知県陶磁器資料館(愛知県陶磁美術館)

八事窯 愛知県陶磁器資料館(愛知県陶磁美術館)
八事窯 中村道年へのあゆみ

開会式

開会式

テープカットは四代 中村道年尼


中村道年への歩み

名古屋の楽焼 八事窯

                                             ごあいさつ


尾張は抹茶を楽しむ習慣がひろく浸透した土地柄であることから「茶どころ名古屋」とも称され、瀬戸や常滑をはじめ、名古屋城内の御庭焼や城下町で様々な茶道具が制作されました。


なかでも楽焼は当地独自の個性がみられ、江戸時代後期の萩山焼や宗玄焼、豊楽焼などといった流れが八事窯中村道年へと引き継がれ、今日に至っています。


萩山焼は十二代藩主斉荘、宗玄焼は藩家老であった渡辺規綱の御庭焼でしたが、豊楽焼や笹島焼は茶人たちの求めに応じ茶道具類を作る陶家として大正年間まで続きました。


京都出身の初代道年が名古屋に招かれたのは両窯が閉窯した後のことで、茶人森川如春庵から名古屋の豪商師定の三代高松定一を紹介され、その全面的な支援を得て大正12年(1923)昭和区八事で開窯しています。

 

ここは益田鈍翁や如春庵などが訪れて作陶を楽しみ、多くの数奇者や茶人に支援される窯となりました。また大正14年(1925)近在に料亭八勝館が営業を開始すると、滞在中の賓客をもてなす場としても利用され、北大路魯山人をはじめとする様々な文化人が訪れるなど、陶房は昭和の華麗な文化サロンでもありました。


この展覧会では、当地が育んだ個性的な楽焼を、茶の湯を楽しんだ人々とともに紹介いたします。瀬戸や常滑にはない、軟質で色鮮やかな茶陶の世界をお楽しみいただければ幸いです。


なお、この展覧会の開催にあたりましては、各方面の方々から多大なご協力をいただきました。貴重な作品をご出品いただきましたご所蔵家の方々、博物館、美術館、また種々のご教示やご支援をいただきました関係者の皆様に、心よりお礼申し上げます。

平成22年4月



八事窯


 

 

 

 

復元された初代道年の窯

 

待合の中にあった窯を三代道年が復元した。


唐櫃庵
初代道年を全面的に支援したのは、名古屋の豪商師定の三代高松定一である。唐櫃庵(からとあん)は彼の山荘に移築されていた田舎家作りの茶室で、鈍翁(どんのう)もこの唐櫃庵に招かれ茶の湯を楽しんでいる。

兵庫県有馬から移築した農家の家屋を茶室に改造した(昭和10年代)

待合外観
中に楽焼窯を置き、茶室の合間に手造りや焼成が楽しめるように工夫されている(昭和10年代)



展示作品抜粋


初代 中村道年

黒楽茶碗 銘 福之神

初代中村道年

初代道年の傑作として伝えられた碗である。

三代高松定一の書付けから、如春庵の光悦作「赤茶碗 銘乙御前」を写したことが記されている。

染付阿弥陀仏鉢

初代中村道年

初代は染付磁器類も作った。この鉢はごく薄手に成形され、内側から外側の染付文が透けて見える。ゆるやかな楕円の器胎に阿弥陀仏の文字と蓮華座の仏が間合いよく描かれている。

鯛食籠

初代中村道年

鯛をかたどった大振りの食籠で、宴席を盛上げる食器として演出効果が大きい。
頭から大きく跳ね上がった尾ひれまで、細かに細工が施されている。内部は大胆に刳りぬかれ、思いのほか軽い。


二代 中村道年

    黒楽夜桜茶碗

二代中村道年

昭和18年頃、二代は表千家十三世即中斎から「八事窯」を命名された。この茶碗は道年の作った茶碗に即中斎が桜を描き、全体に黒釉をかけ「夜桜」と名付けている。

赤楽千古空々茶碗

二代中村道年/原精一筆

原精一は洋画家。萬鉄五郎に師事した。戦地に招集され、そこで数多くのデッサンを描き、戦後はその素描力が高く評価された。この茶碗は赤楽茶碗を黒釉で塗り込め、独特の書体で「千古空々」と描いている。

    織部写茶碗

二代中村道年/石川英鳳画

石川英鳳は花鳥画を得意とする日本画家。帝展に連続入選をはたすなど、停滞気味であった中京画壇を盛上げた。ノリタケの技芸科日本画講師をつとめ、後任には嶋谷自然を推薦している。

黒楽早春画茶碗

二代中村道年/ 嶋谷自然画

嶋谷自然は風景画を得意とし、中京画壇で活躍した日本画家。石川英鳳の後任として、ノリタケの技芸科日本画講師もつとめている。


三代 中村道年

    赤楽茶碗

三代中村道年

三代も光悦の名碗を目標に研鑽を積んだ。この茶碗は光悦の「赤茶碗 銘雪峰」に倣ったもので、三代のおおらかな雰囲気が現れている。

  黒楽茶碗 銘 山路

三代中村道年

三代は昭和59年に今日会の同人となったことから、裏千家ともつながりができている。この頃は茶の湯人口が急増した時代であったことから、表裏両千家が箱書付をする窯として重宝された。この茶碗も裏千家鵬雲斎の書付である。

赤楽茶碗 乙御前写

三代中村道年


四代 中村道年尼

   撫子画瓶掛

四代中村道年尼

この瓶掛は豊楽焼三代豊介の写しである。撫子の絵も四代自身が描いている。

  獅子香炉

四代中村道年尼

  富士大香炉

四代中村道年尼


(当代)五代 中村道年

   黒楽塔画茶碗

五代中村道年
興正寺第二十代住職 梅村正昭

八事山 興正寺蔵

  木具写笹露文蒔絵棗

五代中村道年/前端春斎

五代は豊楽焼の木具写に取組んでいる。蒔絵は前端春斎が担当し、共同制作として発表している。前端は石川県山中塗の若き漆芸家で、父雅峰に師事し、保谷美成のもとで加賀蒔絵を学んだ。

 木具写椰子の実鉢 一双

五代中村道年/前端春斎

  秋草文蒔絵茶碗

五代中村道年/前端春斎